こんにちは。Reiです。
最近アクセサリーのピアス作りを始めました。
新しい世界へ、何でもチャレンジです❗️
私の皮膚はかぶれやすいので、金属アレルギーにならないように、14Kか18Kのピアスを付けていますが、ず〜っと一粒ダイヤモンドのピアスが欲しくて、お気に入りのブランドのサイトを見てはどれにしようか迷っていました。
でも、高いんです・・18Kになると。
買えないわけじゃないけど10万円もするピアス、もし落としたら・・
というのも以前、気に入っていたピアスを片方落としてしまって、歩いた道を戻って探しましたが小さいピアスは見つかりませんでした。
1万円ほどのピアスでさえショックで何日も悲しい思いをしたので、更に高価な物を落としたらと思うと躊躇してしまいます。
そんな時、手作りアクセサリーのサイトを見て、これ❗️これでいいんじゃない❗️と思いました。
クリスタルガラスやキュービックジルコニアで作られたパーツの輝きが、ダイヤモンドと遜色ないのです。
並べて比べなければ見分けつかないんじゃない?
耳に付けているものを、じっと見る人もいないでしょうし!
ということで、パーツを揃えて手作りしていこうと思いました。
使わなくなったネックレスからパーツを取って、クリスタルパーツと組み合わせてみました。
付けると案外素敵なんですよ〜 十分満足です❗️
それにしても・・・写真って難しんですねぇ・・・
宝石といえば、神様のいらっしゃる天国では、建物や家具に宝石がたくさん使われているそうなのです。
旧約時代にもすでに、純金は燭台・火箸・柄杓・平鉢・芯切り鋏・火皿などに、扉も金で覆われていると伝えられています。
純金の輝きは、とても煌びやかだろうと想像できます。
神様を”琥珀金のきらめきのよう”と喩えられたり、玉座はラピスラズリと言われたり、「聖なる都エルサレム」は、宝石で造られたと書き記されています。
都の城壁は碧玉で築かれ、都は混じりけのないガラスのような純金でできていた。
都の城壁の土台はあらゆる宝石で飾られていた。
第一は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四はエメラルド、第五は赤縞めのう、第六はカーネリアン、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
また、十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠でできていた。
そして、都の大通りは混じりけのないガラスのような純金であった。
ーヨハネの黙示録第21章18節〜21節ー
聖書はの多くは喩えを用いて書かれていますが、御言葉でも天では建物に当たり前にダイヤモンドなどの宝石が使われているといいます。
天国はどれほど豪華なところなのだろうと想像しています。
ふと我にかえってみると、ちっさなダイヤモンドを欲しがっていたことが、どうでもいいように思えて欲しい気持ちがなくなっていきました。
それよりも、煌びやかな天国を見てみたい!という思いが強くなって、神様に見せていただけるようお祈りをするようになりました。
神様に聞き従って天国へ迎え入れられることは祝福です。
私はこの世の生を終えたら、肉体を脱ぎ捨てて霊を持って天国へ入るために霊体を成長させている最中なのです。
人類はサタンに神様のことを隠され騙されて、霊の存在を知らずに肉だけ成長してしまい、神様と通じ合うことが難しくなってしまいました。
そして、人類の多くが霊の存在を知らず神様と通じ合えなくて、肉だけで生きるため様々な苦しい思いをせざるを得ません。
日本に裁きが下されているので、何か苦しさ辛さを感じているかもしれません
「私が人類を裁くのはあなたたちを救いたいからであり、あなたたちを愛しているからに他ならない」
「私にとって、あなたたち人間の中に、誰一人として不要な存在はいないのだ。」
「どんなときもあなたたちのことを愛し、あなたたちが私を愛してくれることを心の底から願っている。」
「裁きを行うのは、この地上に平和と秩序をもたらす為なのだ。」
「私はあなたたちを愛している。」
私たち人間を創造して下さった神様は、我が子を愛するように見守り助け、導き続けてくださっています。
悪人によって、国民に不利益な政策が次々と進められています。
悪人の多い日本への裁きは、私たち国民にも影響が及びます。
神様を愛して従うことで裁きの中でも、お祈りすることで愛を受けて心が守られ、平和と秩序ある世界を目指す希望を持って生きることができています。
神様の広くて深い愛をわかって、苦しい胸の内を不安で眠れない思いを、神様に意識を向けてお祈りしてみてください。
神様はあなたのすぐ側で、あなたの祈りを待っていらっしゃいます。
一人でも多くの人たちが、神様を愛して生きることが出来ますよう、心からお祈りします。
RAPT | RAPT有料記事330(2018年11月24日)主がこの世を厳しく裁かれるのは、人々が主にすがりつかざるを得ないようにして、人々の救いを成していくためだ。