こんにちは、Reiです。
先日、高齢の母が亡くなりました。
高齢の母は膵臓腫瘍を積極的治療をせず緩和ケアを選んで一年半、一緒に神様に病状の進行が遅くなるよう(母は病気が治るようお祈りしていたようです。)お祈りしてきました。
神様にお祈りし続けることによって不思議な奇跡の連続に死への考えと心をしっかりと保てたことに感謝が溢れます。
母の在宅介護と病状の変化に気力だけでは太刀打ちできず、その上仕事と信仰のバランスが上手くいかないことの焦りは私の体を消耗しました。
このようなことを神様に告白し相談することで、ふと気づくと最善の方向へ導いてくださっていたことに気づきました。
お客様の予約がなければ休業して介護と信仰生活が出来るようになったり、母の食欲が旺盛になったりお風呂もずっと浴槽に入れたり、ギリギリまで階段も使えるという予想外の良好状態が続きました。
また、突然の痛みを癒して頂いたり、腹水穿刺で落ちる体力をバランスよく食事を取ることで状態を保てたり、最後の最後まで介添えだけでトイレに行くという行動で、医師や看護師さんたちを驚かせていました。
体調の良い時は私の気持ちも安らぎますが、体調のすこぶる悪い時は気持ちが塞ぐ時もありましたが、この気持ちが塞ぐ考えは落ち込ませるというサタンの考えですから、神様に意識を向けて頭で打ち消します。
薬で痛みが取れても体力の低下(眠気やふらつき)に戸惑い弱音を吐く母に呆れて叱っては後悔し悔い改め、神様にどう対応すれば良いのかお祈りをして、冷静に話を聞き励ましながら現状を静かに向き合うことを覚えました。
ある日の夜中、ドーンという音に驚き振り返ると母がフローリングの床で転倒していました。
私はその姿に叫び慌てて抱え、すっ飛んできた父と意識を確認し頭や体に異変がないか調べたのですが、どう見ても出血もアザもコブ一つありませんでした。
母は靴下がすべったから脱がせてくれというだけで、どこも痛くないというのです。
しばらく様子を見ましたが、どこもまったく何ともないのです。
これは神様が天使を使わしてくださり助けてくれたのだ(以前私も体験しています。)と分かり、もう本当に感謝しかありません。
それから出来るだけ何でもしようと行っていたある日、むやみに頑張りすぎたせいか三日間熱を出して寝込んでしまい、介護が出来ないという最悪の事態が起きてしまったこともありました。
ちょうど妹が手伝いに来てくれる日で頑張ってくれたので大事に至りませんでしたが、後にこの事は知恵のない私のやり方に神様は限界を告げ知らせ、同時に体を休ませてくださったのだと悟りました
痛みに強い薬を使うので皮膚に影響がでて保護をしていても深い傷は治りませんが、悪化せずに過ごせたことや、薬剤師さんもびっくりするほど最小限の投薬で済んだこと、現状維持で過ごしたいという思いに最後の二日間は意識が混濁するも長患いしないで済んだことは、神様の深い憐れみと愛の恵みなのでした。本当に感謝しかありません。
最期もきちんと看取ることが出来ました。
家族や周りの人たちは悲しみに咽び泣き気落ちしていますが、亡き母はそんなことを望んでいないと感じます。
お別れ会は悲しみに暮れるのではなく、母の人生を讃え見送りたいっと思っています。
信仰を持つ私は祈りという恵みを与えて頂きました
祈りで誰にも話せない心の内を神様にすべてを打ち明け相談すると、どんな時も自分を見失わず冷静に考え判断できる力をくださいます。
そして、願いも叶えてくださいます。
神様が心から愛する皆さんへ
どうか神様の祝福の時代を共に生きてください。
どんな時も神様の愛は変わらず偉大なのですから。